アートをうまく解釈しない男

渋谷まで行き、明大前、初台に辿り着く。
ローリー・アンダーソン「時間の記録」という回顧展を見に行った。
アートというものはいつもいつも、自分の想像もできないものが展開されており、
ブログを通して何て表現をしていいのかがわからない。
面白かったの一言に尽きてしまう。
もしローリー・アンダーソン「時間の記録」を検索して、このブログを見てくれた人がいたとしたら、ごめんなさい。語彙の貧困も手伝って、うまい表現ができません。


ハンドホーンテーブルというのがあって、テーブルにひじをついて手で耳を覆うと音が聞こえてくるというもの。席が二つあって、お互いに向かい合う形になる。
向かい合う姿をはたから見ると家庭崩壊間際の夫婦な感じに。
手から音が聞こえてくる不思議な感覚でした。
ドラムスーツ。ドラム・センサーを仕込んでいるスーツ。
ドラム・ダンス。踊るパフォーマンス。胸やひざなどを叩いて音を出す。
まだまだ
・・・


面白いんです。アートはいつも自分の想像しないものを見せてくれる。
帰ってきた今も、面白さの経験と余韻がいつまでも残る。
真実を表現するのが大変難しいです。自分に対して答えを「面白かった」と、
漠然と曖昧な見当をつけてしまう。ものの見方に問題があるが、
それをどうすることもできない自分がいる。どうしたらいいかなんてわからない。
教えてもらうものでもないし、もし自分の納得のいく答えを一生見つけられないなら、
わからないまま死んで行く。
それでも今の自分に妥協しているわけではないですが、
要するに説明できぬほど予想外のものが見れる上に、面白かったということです。
ローリー・アンダーソン−時間の記録−という本を買った。

ローリー・アンダーソン―時間の記録

ローリー・アンダーソン―時間の記録